桜が綺麗なので... 最上義光の話しをします。
はじめに
山形にも桜前線が到着したようです。いよいよ山形にも本格的な桜のシーズンがやってきますね!って、こういうの一度言ってみたかったのよね(^。^)
山形市で桜の名所と言ったら、霞城公園(かじょうこうえん)が上げられるね。霞城公園の別名は国指定遺跡に指定されている「山形城」。今日は、その山形城を拠点とし、全国有数の大名にのし上がった戦国武将、最上義光(もがみよしあき)について、桜を見ながら紹介するね(笑)
上の写真、馬に乗ってウィリーをしているのが最上義光さん。江戸時代初期には全国5位の領地を支配し、繁栄を極めた名将です。全国的には地味な武将だけど、現在の山形市繁栄を築いた凄い方なんだ。ちなみに義光と書いて「よしあき」と読むので書き間違いではないよ(^.^)
最上義光さんは1546年に生まれたとされ、1614年に69才で亡くなったそうです。同期の武将には岡田准一さん主演で大河ドラマにもなった黒田官兵衛さんがいる。その大河ドラマ、ずっと以前のだけど「独眼竜 政宗」の影響で、最上義光さんは残忍な武将のイメージが定着したようだね。
義光さんは仙台の英雄 伊達政宗さんの叔父さんですね。義光さんの2才下の妹、義姫(よしひめ)さんが仙台の政宗さんのお母さんです。義姫さんが実の息子の政宗さんを毒殺しようとしたので、兄の義光さんのイメージも極端に悪くなったようだね(^-^;).. 陰で糸を引いているのが義光さんと思われているみたい。
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最近では、山形の最上義光は悪い説!が見直されているようで、義姫さんと息子の政宗の関係は良好だったみたい。良かった!良かった!いくら戦国時代といえ、お母さんが息子を毒殺しようとするなんて考えたくもないからね(・∀・)
今では、山形の義光さんと妹の義姫の政宗毒殺事件は明らかなねつ造とされているね。
最上義光さんの話しに戻ると、義光さんが最上家の跡を継いで当主になるころは、最上家は山形の名門だったけど看板だけで、近隣の武将に押され、最上家の勢力は弱体化してたんだよ。
義光さんは30年間、近隣の武将と戦い、寝返りさせ自分の仲間にし、時には新潟の上杉家(上杉謙信が有名)や伊達家とも戦った。実の父親との骨肉の争いにも勝った。そうやって戦国時代を勝ち抜き、大大名になったんだね(^.^)
徳川家康さんとの関係もたいへん良好だったみたいで、徳川家康さんが江戸城を離れる時は、江戸留守居役という、江戸城の留守を守る重要な役割もするほど、家康さんとの関係は親密だったようだね。
最上義光さんは戦国時代を勝ち抜き、生き残った凄い方だったんだよ!
この桜、霞城の桜(かじょうのさくら)という名前で樹齢600年なんだけど、きっと最上義光さんも見ていた桜だろうね(´ー`)
おわり..